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コラム
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- サブページの統合を行いました。従来通り、「医療法人」「自動車登録」「相続」「古物商」の4コンテンツでの展開です。今後も何かあればサブページに追加していきます。
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- 月1連載コラム2 ~車と保険の話~
- 第1回 そもそも保険とは誰のためのものか今年の4月から自賠責保険の保険料が上がった。平均で13.5%と大幅な値上げとなる。これは死亡事故の減少に伴って生じた利益を還元するために行われていた値下げに対して、後遺障害の等級認定が想定よりも多かったために2012年度になって赤字になってしまったためである。後遺障害の等級認定とは、交通事故で負ったケガによって障害が残ってしまった時に、その程度によって等級分けし、それに応じて保険金を給付するものである。近年の交通事故による補償は任意保険によってなされる場合が多いのですが、それでも任意保険に加入してないドライバーもいたり、何らかの理由で満足な補償が受けられないこともある。そこでこの自賠責の後遺障害認定が注目を集めだしたのである。なお、この請求に関しての説明は後の回に譲ることにする。話を元に戻そう。自賠責は強制保険ともいい、車検の際に必ず更新されるものである。もちろん、加入せずに乗れば1年以下の懲役、または50万円以下の罰金となる。2年間でおよそ3万円弱の保険料を惜しんだばかりに、その15倍以上の罰金を受けるくらいなら加入するだろう。自賠責は任意保険と違い、保険事故を起こしても保険料が上がったり、引受不可になることがないのだから。そもそも、どうして自賠責があるのか。「自動車損害賠償責任保険」という正式名称を持つこの保険は、交通事故における被害者の救済のために昭和30年施行の自動車損害賠償責任法に基づいて作られた。交通事故は民法上の責任でいうと不法行為責任となるが、ケガなどの補償を一般人がいきなりできるわけがない。そこで、保険制度によって最低限の補償を被害者に給付することで、入院による治療費などを支払えるようにしたのである。そう、保険は「加入者のためにある」わけではないのだ。しかしながら、昨今の保険は加入者に対してのみアピールしている傾向が強い。顧客満足率が高いのはある意味当然と言っても過言ではない。保険の中身は加入者への対応ではなく、「被害者への対応」でその質が決まると思ってもいいだろう。筆者はディーラー勤務の中で、そういった保険会社の対応を見てきた。その経験の中で見たものや感じたものを次回から書いていこうと思う。(次回は5月中旬に掲載します)
- 月1連載コラム~自動車社会に思うこと~
- 最終回 これからの自動車社会のために考えることこれまで3回にわたっていくつかの問題を挙げてきたが、需要を作らなければこれからの自動車社会は続かない。景気の問題や車種の没個性化の問題、税金の問題など挙げていけば枚挙に暇がない。ただ、自動車業界としてはもっと広く需要を考えないといけないと思われる。コストの圧縮で多くの車種をラインナップから消滅させてきたわけだが、「全員が欲しがるような車」なんぞないわけで、そこを見極める必要があるだろう。もちろん、作っても売れないのは話にならない。前回でも述べたが、各年齢層への訴求とともに、彼らの声も受け入れることが必要だ。消費者なくしては業界の発展もない。しかし、消費者自身もまた賢くなるべきだろう。特にメディアが必要以上に持ち上げる「値引き競争」を販社に持ちかけることは業界の衰退に繋がりかねない。本来「値引き」なるものは、「買っていただいたのでこれだけサービスします」という「販社側の感謝」として行われるものである。消費者が「買ってやるからこれだけ引け」というものではないのだ。高額商品だからという理由もあるだろうが、「買う時に値引きがなければいけない」商品というのはどう考えてもおかしな話なのである。ここで思い出してほしい。前回では「高いから」という話をしたが、それは「余計な付加価値をつけることはない」という意味であり、正当な価値で評価できるのなら問題ない。「この価値だからこの値段」というレベルを作っていけば、納得のいくラインナップができるのではないかと思う。極端な話をすれば、以前のように車に格の差をつければいいのである。リーズナブルな車に高級車レベルの装備をつければ高くなるが、仮にそれがなければどのくらい安くなるのか...を考えれば想像できるのではないだろうか。これから必要なのは「見合った価値」である。さすがに昔のように多くのラインナップを揃えるのは不可能であろう。しかし、その絞った中にも必ず訴求するメインターゲットになる年齢層はある。グレードの調整も含めて、消費者との購買データのすり合わせをした方がよいのではないだろうか。そして、消費者もまた、自分は何を求めているのかをもう一度見直してほしい。販社と消費者の思惑が一致することから、またこの業界が盛り上がってくれればいい。筆者はそう願っている。(終わり)(3月からは自動車と保険についての新連載を行います)
- 月1連載コラム~自動車社会に思うこと~
- 第3回 大型化と高額化が招いたもの若者の自動車離れという言葉を聞いて久しい。理由としては、「景気の後退による購買意欲の低下」「多様化した趣味」「公共交通機関の発達」などが挙げられる。特に第三の理由である「公共交通機関の発達」というものは都市部に多く、渋滞が頻発し、駐車場の高い地域ではそれもうなずける。第1回でも述べたように、自動車というものは維持費がすこぶるかかるものゆえ、ある程度の余裕がなければ所持できないのである。しかし、かつては余裕があまりなくても若者は自動車を購入していた。それはやはりホビーとして楽しむものであるという考えがあったからに他ならない。現在は自動車以外にも熱中でき趣味が増えた。これが先ほどの第二の理由に繋がるのである。ただ、やはり大きな要因は「多少無理をしてでも買いたい」というクルマがないことだろう。没個性だけではない。今のクルマは無駄にデカい上に高いのである。ボディを大きくするのは、コンパクトカーの需要がパーソナルユースからファミリーユースに変わってきてしまっている影響もある。この不景気の問題で、少しでもコストを安くするためにこうなってしまったのだろう。もちろん、ファミリーに対しての訴求は重要な課題ではある。しかし、こればかりではパーソナルユースは余計に離れてしまう。ボディを大きくすれば、当然車体は重くなる。かつての時代とは異なり、ただでさえ安全装置などの装備で重くなっているのである。各メーカーのコンパクトカーを見てみると、1トン未満は1~2車種しかない。それでいて排気量は1~1.3リットルである。走らせて楽しみを感じることは少ないだろう。一方で、「スポーツカー復活」を名乗ってはいるものの、車両価格が300万円近いものが「40代以上向け」に売られている。もはやこれでは「若い人には売れないから、多少余裕のある人に」を宣言してしまっているようなもの。若者のクルマ離れをメーカーが促進しているとも取れるわけだ。スポーツカーとは言えないまでも、「走って楽しいクルマ」はやはり若者が憧れるものだと思う。そのためには若者が「乗りたい、ちょっと頑張れば手が届くかな」くらいのものを作ってほしい。ハイテクなインパネなどはいらない。足回りなどが固くてもいい。小排気量でもいいから、レスポンスに優れたエンジンを積めばいい。そして、価格が200万円前後で抑えられれば。こういった「若者の要望」に沿うようなクルマを作ることは実際には難しいだろう。だが、高齢化で免許返戻が推進されている今、少しでも若者に訴求できるものを考えるのも必要なのではないかと思う。(最終回は2月初旬に掲載します)
- 月1連載コラム~自動車社会に思うこと~
- 第2回 「クルマ」個性の消滅筆者が都内のディーラーに就職したのは平成13年4月のことである。第1次就職氷河期と呼ばれ、大学生の就職率が軒並み低下する中で得た就職であった。とはいえ、車好きの父に育てられ、大学時代は交通事故を始めとする不法行為を専攻していた筆者にとっては決して望まぬ職ではなかったことは事実である。当時自動車業界は変革を迫られ、「NOx・PM法」などによって環境性能を重視する自動車作りにシフトしつつあった。「低排出ガス車」に認定されると星のついたステッカーが貼られ、数年間税金が軽減されるようになったのもこの頃である。自動車の税金はやはり高額なので、ユーザーとしてもできる限り安くしたい。景気が下向きになり、消費を増やしたい財界との利害が一致した結果の方策である。これが現在の「エコカー減税」の始まりだ。その後平成14年にひとつの大きな「事件」が起きた。それは平成12年規制の影響により、この年の8月をもって各メーカーの主力スポーツカーが姿を消したことである。現在でも車好きには人気の車種とされているスープラ、シルビア、RX-7、スカイラインGT-Rがそれである。理由としてはこの規制に適合するだけのスポーツカーを生産するためにはコストが見合わないということがある。データを見る限り、これらの月販台数は1000台いっておらず、「作っても売れない」という思惑があったことは想像に難くない。景気の衰退、石油の高騰などにより、ランニングコストを重視する傾向が強くなった。ハイオク車で燃費も決して良くなく、車両保険なども高いスポーツカーはこうして消滅していったのである。一方でフィットやマーチ、ヴィッツを始めとする低燃費型コンパクトは「低燃費」を看板に売れ続けた。一部の自動車ファンを除いては、車は完全に「足」となり、「運転を楽しむもの」ではなくなったのであった。現在でも続いている「エコカー」ブームではあるが、すでにどの自動車も「エコカー」となっている以上、住み分けができなくなりつつある。端的に言ってしまうと、「どの車を選んでも同じ」なのである。「買いたいと思わせるクルマがない」という声が聞こえるのも当然なのかもしれない。個性のないものに魅力を感じろと言われても無理な話である。かつて、クルマは若者のステータスとされてきた。しかし現在では積極的にクルマを持とうとする若者は減っているという。ただ、そこは個性的なクルマがないだけでは説明できないだろう。次回はその点についてお話することにしよう。(第3回は1月初旬に掲載します)
- 月1連載コラム~自動車社会に思うこと~
- 第1回 補助金と税金の矛盾平成24年9月21日、エコカーの補助金の申請受付が終了した。すでに7月には尽きると思われていた予算だったが、駆け込み需要もそれほどではなかったようだ。政府はこのエコカー補助金におよそ2747億円の予算を組んだという。この予算は言うまでもなく、国民の税金である。もともと自動車というものは税金のかたまりといわれている。自動車取得税に消費税、重量税に自動車税、そして燃料にかかる揮発油税など、「諸費用」という名目のもとに何重にも課税されている代物なのだ。その大半は本来「道路特定財源」と呼ばれ、道路インフラが整っていない時期に加算された「暫定税率」として徴収され続けている。そう、すでに「道路特定財源」が一般財源化された今になってもである。道路などの交通関係のインフラ整備にかかる費用は自動車の使用者に負担してもらうというシステムであるが、もはやその目的は果たされた以上、最低限税率は元に戻すべきであると考える。しかし、現状は「予算不足」という大義名分を掲げられた政府によって、高い税金を払わされている。「補助金」という財界と癒着した予算を組むカネがあるにもかかわらず、である。現在の自動車は技術の進歩もあり、普通に使用していれば10年以上はもつと言われている。むしろ普通に使用するための「整備」を重視すべきであろう。購入よりも整備の方が自動車会社に足を運ぶ機会が多いのは明らかである。長く乗り続けることが「エコ」であるのは言うまでもないだろう。結局はこの「エコカー補助金」は、自動車に乗らない人間にまで自動車に対するカネを負担させるものに他ならないのである。とはいえ、自動車業界にも「売らねばならぬ」理由はあるのは間違いない。売れなければ、重工業全体へのダメージは計り知れないからである。無論、筆者も自動車業界との関係は浅からぬものがあるため、衰退の一途を辿るようなことがあってはならない。問題は「エコ」を前面に出し、それを理由とした補助金に頼らなければならないという「流れ」にあると考えている。同じ点をセールスポイントにしても、面白味が何もないのである。筆者がディーラー勤めをしている頃から、その傾向は顕著になり始めた。次回はその辺りについてお話しすることにしよう。(第2回は12月初旬に掲載します)